| 「新宿の坂道紀行 御殿坂
御殿坂は、筑土八幡宮の西裏、東五軒町の双葉社の側からのぼって南に向かい、途中やや右に湾曲しながら、朝鮮日報社と明治乳業会館との間を通って大久保通りへ下る短い坂道である。
坂名の由来は、八幡神社裏の丘陵、御殿山に上る坂であったことによる。『東京市史稿・市街篇6』によると、三代将軍家光の時代に、この付近は大納言家綱(世子)の御殿が造られたことから御殿山と言われたとある。また、家光の御鷹狩りのときの仮御殿があったところから周囲の台地を御殿山と称したと『新選東京名所図会』にはある。いずれにしても、いまは御殿の痕跡はなにも残っていない。
大久保通りに面した坂下には、東京高等師範学校(のちの東京文理大・東京教育大・筑波大)の音楽教師で作曲家の田村虎蔵の旧居跡がある。
明治の昔、『地理教育 東京電車唱歌』というのがあり、私たちの祖父母の時代に小学校で歌われた。『鉄道唱歌』を模した長大なもので、52番まで延々と続く。作詞者は石原和三郎、作曲者が田村虎蔵である。
この『電車唱歌』の35番には、
外濠線は四ツ谷より
市ヶ谷見附 神楽坂
砲兵工廠前をすぎ
お茶の水橋 駿河台
と、神楽坂が出てくる。ただし、これは神楽坂下(揚場)のことであって、私たちにとって懐かしい大久保通りを走る13番の「神楽坂」(肴町)の電停ではない。
田村虎蔵は、口語体の唱歌「金太郎」「花咲か爺」「大黒様」「一寸法師」「浦島太郎」などを作曲し、筑土八幡の境内には教え子が建てた「まさかりかついできんたろう」の5線譜を刻んだ顕彰碑がある。口語唱歌の父が筑土八幡町に住んでいたことは知っておいてよい。
(小笠原幹夫)
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