新宿区商店会連合会
〒160-0023 東京都新宿区西新宿6-8-2 BIZ新宿2F TEL:03-3344-3130 FAX: 03-3342-1108
トップページ
区商連とは 規  約 組織・役員 事業案内 加盟商店会 イベント 新宿区 リンク
@ A B C D E F G H I J K L M N O P Q R S
「新宿の坂道紀行  朝日坂

神楽坂通りを東西線神楽坂駅に向かって上り、六丁目スーパーキムラヤの角を左に入るとそこが「朝日坂」。緩やかに上る坂の両側を埋める家々の間に龍門寺、円福寺、宝国寺、長源寺…と寺院が点在し、表通りの賑わいが嘘のような静けさにほっと息をつく。このあたりの町名は横寺町、その名の通りお寺の横町である。朝日坂という名は坂の入り口近くにあった里俗朝日天神(北野神社)の名をとったもので、明治二年までは町名も牛込朝日町と呼ばれていた。
 寺の横町・朝日坂は、かつて尾崎紅葉、泉鏡花、正宗白鳥らの近代作家が通った歴史をいまにとどめる坂でもある。
 尾崎紅葉は明治24年から36歳で死去するまでの12年間を、坂上の左側、大信寺に隣接する鳥居家の母屋を借りて住んだ。紅葉はここを「十千万堂(とちまんどう)」と称して、2階の書斎で代表作「金色夜叉」をはじめ多くの作品を執筆したが、多士済々な文士がここに出入りしていたという。1階には玄関番として泉鏡花が19歳から3年間ほど寄宿している。
 学生時代の正宗白鳥もこの横寺町に下宿し、朝日坂を通って早稲田に通学していた。当時はまだ文学者を目指していなかった白鳥だが、『尾崎紅葉』(筑摩版・現代日本文学全集)の解説の中で当時を想起して、散歩の途中、銭湯通いの途中に町内の古ぼけた共同門に「尾崎徳太郎」という表札を見つけたことを記している。尾崎紅葉が暮らしたこの家は戦災で消失したが、鳥居家はいまも当時の場所にある。「尾崎紅葉旧居跡」の看板が立つ路地を一歩入った板塀越しの庭は紅葉が書斎から眺めたのと同じ庭である。
 もうひとり、朝日坂を終焉の地とした文学者に島村抱月がいる。坪内逍遙と共に文芸協会を起こした抱月創立の芸術倶楽部が、坂の中ほど横寺町十番地にあり、その木造二階の建物は日本の演劇近代化の母体となった。大正7年、この建物の一室で48歳の抱月は病死したが、それを悲しんだ松井須磨子は翌年同じ場所で後追い自殺している。
 近代文学・演劇を育んだ朝日坂はいま、「劇団ふきだまり」の拠点として伝統を残す一方、ここを往き来し暮らす人々の「誕生から死まで」をそっと包み込む坂でもある。坂道の家々の間に点在するのは、ママチャリが並ぶ小児科、小さな子供服の店に小中学生の学習塾、ひとり暮らしの若者が仕上がりを待つコインランドリー。中高年に人気の健康風呂に、介護サービス事務所もある。そして、きょうも「墓所販売」の幟が風にはためくお寺さん。この坂はたった2,3百メートルの間で「ゆりかごから墓場まで」ちゃんと面倒見てくれる。
 坂を入ってすぐ右、打ち水が清々しい「割烹 とよ田」の店先の小さな飾り窓は、お正月の飾りからいつの間にか節分の鬼の置物に変わっていた。この季節の小窓に迎えられて始まる坂は、緩やかに蛇行しながら牛込中央通りに抜ける。

 ふじみねこ

この原稿は、(株)けやき舎に著作権があり無断転用は出来ません。