| 「新宿の坂道紀行 瓢箪坂
瓢箪坂には、神楽坂上の交差点、大久保通りの安養寺の東脇(筑土八幡町側)から白銀公園の角へ曲がり上がるか、神楽坂六丁目の表通り、文悠書店とりそな銀行の十字路を北(白銀町側)へはいって大阪寿司の大〆の前を左に切れても行かれる。
神楽坂六丁目と白銀町の境目を西に上がる坂で、北に白銀公園を望む。坂上からさらに西へ進むと、赤城元町、すなわち赤城神社の塀脇につきあたる。
道のかたわらに建った案内柱の説明文によると、途中いったんくびれて、ふたたび拡がっている形からこの名が付いたとある。
たしかにこの坂は、S字型に曲がっていて、道に狭いところと広いところがある。
しかし坂道がくねくね曲がっているのは、この界わいでも、そう珍しいことではないし、道幅が一定でないことが、とりたてて瓢箪を連想させるということはない。
横関英一氏は『江戸の坂 東京の坂』で、池だとか山だのが瓢箪の形をしているというのは、ままあることだが、坂や道路が瓢箪の形をしているというのは、どういうことだろう、と疑問を呈している。
そして、坂のそばに瓢箪の畑があって、夏になると青い瓢箪がいくつもぶら下がっているのが坂道から見えたというほうが、ありそうなことだと、横関氏はいっている。
徳川時代はもちろん、明治・大正の昔でも、ここ牛込界わいには、中勘助の『銀の匙』や夏目漱石の『硝子戸の中』に見られるような、郊外に近い山の手の田園風景が拡がっていたに違いないのである。
また、横関氏によると、江戸の昔、子供の下駄に瓢箪の絵を描いた、ころばずの下駄というものを売っていた。そこで、急勾配の坂に瓢箪坂と名づけてころばないように、おまじないをしたのではないかと推理している。子供への祈りと慈愛がにじむ心づかいのアイデアであったのかもしれない。
(小笠原幹夫)
この原稿は、(株)けやき舎に著作権があり無断転用は出来ません。
|